クラブ概要
名称 | エルマーズフットボールクラブ |
略称 | エルマーズFC、エルマーズ |
設立 | 1977年(昭和57年) 4月 |
代表 | 配野 宏 |
顧問 | 豊嶋 文生 鈴木 一幸 |
筆頭アドバイザリ | 大川 徹 広瀬 和市 |
活動拠点 | 東京都府中市 府中第一小学校グラウンド |
会則
由来と歴史
クラブ名の由来は、府中市の「市の木」にちなみます。府中市の木はニレ科の落葉樹である欅(けやき)です。ニレは英語で “Elm” です。府中市の元気な子供達『けやきっ子』を、ニレ科の木の子供達とかけて Elm_er_s(エルマーズ)と命名されました。
1977年3月に、府中市教育委員会主催による「少年サッカー教室」が、府中第一小学校で開催されました。当時は、野球やドッジボールが子供達の遊びの主流で、サッカーへのなじみは非常に薄かったころでした。1ヶ月間続けられたサッカー教室が終了したあと、この活動をこのまま継続しようと発足したのがエルマーズサッカー少年団です。
小学生を中心に活動を続けていくうちに、卒業生やお父さんやお母さんの活動へと広がっていきました。1996年には20周年を記念して、エルマーズフットボールクラブと名称を変更し、現在に至っています。
こぼれ話
府中市少年サッカー場(調布基地跡地暫定少年サッカー場)が「関東村」と呼ばれるのは、第二次大戦後、米軍がここに駐留し関東村と呼んでいたからです。米軍が撤退した関東村の跡地では、1980年頃には部分的に草野球や草サッカーに使われていましたが、野ウサギが走り回るほどに全体は荒れた草地でした。府中市少年サッカー連盟は、府中市体育課の協力の下、関東村跡地の一角を少年サッカー場として使用できるように東京都に陳情し、「暫定使用」の許可を得ることができました。実は、この「暫定使用」の状態は現在も変わっていません。現在の第1・2コートと府中朝日フットボールパークのところに第3・4コートがあり、南北約400~500mの長いグラウンドが完成しました。
1982年10月10・11日、完成した府中市少年サッカー場で、4面のオープンを記念する招待大会が開催されました。決勝の主審はエルマーズ初代監督で連盟会長の諸岡信良が務めました。1984年5月、このサッカー場に約5000人が集まり、全日本少年サッカー大会(東京都少年委員会・少年サッカーの集い)が開催され、砂塵の中、開会式とリフティング大会が行われました。選手宣誓はエルマーズサッカー少年団キャプテンの村山恵寿君(村山初代会長の3兄弟の3男)でした。大会の運営には府中市役所職員、連盟役員が一丸となって協力しました。その後毎年、府中市少年サッカー場では東京都中央大会が開催されるようになり、少年サッカーのメッカとなりました。
その後、府中市のサッカークラブと府中市やサッカー関係者の努力で水道や電気が仮設され、暫定使用とは思えない素晴らしい施設になりました。さらに、北隣には天然芝の府中朝日フットボールパークが整備され、南隣にはFC東京のホームグラウンドである味の素スタジアムもあります。このように、府中市少年サッカー場のまわりは、素晴らしいサッカー環境を私たちに提供してくれています。